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服について考える

ここ数年、年間で服を買うのは、インナーと下着のみという状態が続いています。

 

それも、きまった所の同じものばかり。。。

 

シャツもパンツも靴下も全く同じで、同じ色ばかりです。

 

靴も傷んでは、同じものを繰り返し買ってます。笑

 

これはこれで、服装を考えるという時間を無くせますし、靴下に至っては、パっと手に取った一対が違うものになることもありません。

 

若い頃は、頻繁に服を見に行ったり、買ったりしていましたが、ある時からぱったりと途絶えました。

 

寒い時は、暖かくなるもの、動きやすいものといったように、機能性重視というか、何着てても人は変わらないでしょという考えになりました。

 

あとは、歳を重ねて、より自然体になったのかもしれません。

 

だから、冬のアウターといえば、主に2着しかありません。。。

 

これを着まわすわけですから、定期的に合うお客さんの中には、ずっと同じやんと感じている方もおられるでしょう。笑

 

かといって、何でもいいというわけではありません。

 

色合い、素材、全体のフォルムについては、自分なりの決まりがあります。

 

 

だから、新しく新調しようとしても、なかなかイメージにハマるものが見つからないのです。

 

明確にイメージがあるので、服を見に行っても、イメージ通りでなければ1軒あたり5分もいらないくらいです。

 

店内をばっと見渡して、瞬間で無いと判断することもありますし、目星をつけて近づいてハンガーを分けて違うといった感じで去ります。

 

試着に至るのは、ほんとに稀です。

 

10年単位で着ることを前提としているので、歳とったらどうかとか、日常的に楽に着られるかなども判断基準です。

 

あとは、流行りとかで選ぶことは絶対にしないですね。

 

みんな自分に合った色があるし、形もあります。

 

だから、服を見るときにお洒落とかという感覚はなく、自分に合うかどうか、自分の存在に合うかどうかという感じで選びます。

 

お洒落というのは、服装を指す言葉ではなく、その人を指すことだと考えています。

 

勘違いされそうですが、シーズンの流行りを着ている人を否定でいているわけではありません。

 

それはそれで、自己表現だと思いますし、それでうまく自分を伝えることができるのなら正解だと思います。

 

しかし、ダメなのは、みんなが着てるからとか、今これを着ないと置いていかれるとかで、服を選ぶことです。

 

そういう服の選び方をすると、中身がなく服だけが一人歩きすることになるからです。

 

そんな中、今日、街中で限りなくイメージと近いものに出会いました。

 

サイズに違和感があり、別サイズを他店から取り寄せてもらうことになりましたが、きっと10年以上私の体の一部になってくれるような気がします。

 

そう、服は着るものではなく、一体化するものなのです。

 

裸で生活できる世の中であれば、そもそも服は不要なものですから、一体化するという感覚がふさわしいと思います。

 

こんな偉そうなこと書いてますけど、勝手に購入を決めてしまったので、嫁さんに怒られるかも。。。汗

 

10年以上は着るので許してください。。。

 

 

 

 

 

 

遊びとは創意工夫すること

最近では、親子でキンケシにはまっています。

 

現世代の子供は、キン肉マンのことをほとんど知らないでしょう。

 

私たちが子供のころは、知らない人はいないくらいでした。

 

中でもキン肉マン消しゴム、通称キンケシは、爆発的な大ヒットでした。

 

そして、今世代を超えて、我が子たちが、このキンケシで遊んでいます。

 

数年前から、子供の頃からの続編を、開始しています。

 

キン肉マン全盛時代の世代が、大人になって本編再開とは、うまいな~とは思うのですが、まんまとはまってしまってます。

 

その影響で、我が子たちも、周りとは逸して、キン肉マンにはまることになりました。

 

昔のキンケシを引っ張り出してきたり、新しく買ったりしながら、昔と変わらず遊んでいます。

 

プロレスといえば、やはりリングが必要です。

 

こういうときは、LEGOブロックが、活躍します。

 

子供と一緒に、リングを作り、輪ゴムのロープを張って、片持ちのギャラリー席まで設けて、更に!このリングは基礎部分との間にターンテーブルを挟み回転するんです!

 

 

子供たちも、この空中リングから下に落ちて、「うわ~」とかやってます。笑

 

昔よく見た光景です。笑

 

建築やってる人で、昔LEGOで遊んでた人多いみたいですね。

 

感覚的に構造力学が身につく、素晴らしいブロックです。

 

このリングなら、回転時に安定する基礎部分の接地面積はその程度か、ギャラリー席の持ち出し部はどのような組方をすれば丈夫になるかとか、輪ゴムの内側への引っ張りに耐えるにはどのくらいコーナーポストに抵抗がいるかなどです。

 

こんな物理的なこと考えるのは、大人になってからですが、こういうことが、感覚的に身につくわけです。

 

キンケシというサイズが、仮想体験させてくれる。

 

創意工夫で、世界はどんどん広がっていくのです。

 

 

 

 

 

小説を書く

前から、いろんな題材で、時間のあるときにコツコツと、小説を書いていますが、書き切るというのは非常に労力がいります。

 

最近、超短編ではありますが、ひとつの小説を書き終えました。

 

基本的に、純愛というものをテーマに書いています。

 

夏目漱石の「こころ」は、私にとって小説というものの意味を、大きく考えさせてもらった作品です。

 

人のこころの様相を、文字で書くのは簡単だけど、描くのはとても難しいのです。

 

必ずしも、丁度いい言葉があるとは限りません。

 

だから、文字で描くには、その場所の雰囲気や、周囲の状況などから、浮き立たせるように文章を組み立てなければいけないのです。

 

今回の作品は、何人かに読んでもらい、いろんな有難い意見をいただきました。

 

想像した場を、文章で表現するということは、建築と同じように感じています。

 

建築は、想像した空間を物や寸法で表現していきます。

 

それは、突然変異的なものはなく、必ず意味があり、ストーリーがあります。

 

だから、この仕事をしていて、小説を書くというのは、必然なようにも感じるわけです。

 

ただ、小説も、建築同様に、全く展開が広がらないとか、適切な表現が生まれないなど、悩みも多くあります。

 

本職ではないので、悩んでも深く落ちることはありませんが。笑

 

今も、ひとつの作品を書き始めているのでが、一回書き直し、二回書き直し、只今三回目でございます。

 

全体の情景はボヤっとあるのですが、方向を定めるのに苦労している感じです。

 

でも、現実ではない世界を、表現することって、とても素晴らしいことです。

 

建築をある程度長くやっていると、頭の中でも現実味を帯びすぎるんです。

 

リアルに想像しすぎてしまうというか、余白がなくなっていくんです。

 

小説を書くことは、想像力をつなぎ止める、とても自分にあった手段だと思います。

 

いつか、自分が納得のいく小説を完成させたら、なんらかの場で発表します。

 

お楽しみに。

 

 

 

 

筋トレによる効果

年とってからは、長続きしない筋トレ。。。

 

若いころは、筋肉を鍛えるのが楽しかったのだが、今では何が楽しいのか全く分からない。

 

特に30歳を超えてからは、ろくに運動もしていないので、体が急速に衰えているのが分かる。

 

運動しないとと思うけど、都合の良い理由を見つけて、なかなか重い腰が上がらない。

 

しかし、なぜかここ2週間欠かさず筋トレが続いている。

 

お腹の脂肪って、触ると冷たくて体温を感じない。

 

それに違和感を覚えて、ふと昔のように腹筋を割ってみたくなって、なぜか続いている。

 

こんな私でも昔はスポーツジムのインストラクターのバイトをしていたことがあった。

 

今では誰も信じてくれないし、自分でも作り上げられた妄想かもしれないと思うほどだ。

 

若かったので、乱暴な指導をしていた。

 

「どうやったら痩せて筋肉質になりますか?」というお客さんの質問に対して、「飯をちゃんと食って、筋トレちゃんとしたら、筋肉質になりますよ。やるかやらんかでしょ。」

 

みたいな感じ。

 

この度は、あまり気張らずにゆっくりと筋肉を作り上げていこうと考えている。

 

まさに大人の筋トレだと思う。

 

無理して負荷をかけると、超回復の前にどこかが損傷してしまう。

 

超回復ではなく、微回復(イメージ)程度を繰り返す。

 

あとは負荷をかけたときに、酸素をその部分に送り込むことを意識して効率を上げる。

 

痩せるという意識は持たずに変換するという意識でやると、なかなか続くものだ。

 

お腹が割れるには程遠いが、インナーマッスルは強化されているのが分かる。

 

最近は駅の階段を駆け足で昇りたくなる。

 

筋肉に刺激を与えると、筋肉が動きを渇望するような感じだ。

 

すると意識も若返るような感覚になる。

 

やっぱり何でも意識なんやなぁと思う。

 

意外と筋肉って意識だけでついてるのかもって考えてしまう。

 

オリンピック選手も並々ならぬトレーニングをして結果を出すけど、それも誰よりも速くとかそんな意識の強さ比べかもしれないなって考えてしまう。

 

そしたらトレーニングせずに意識だけ高めたらいいやんって。

 

こんな人間は、結局のところ本当の意識をもつことはできないのかな。

 

心身ともに鍛えなくては駄目ということですね。

 

この年になっての筋トレはいろんなこと考えられて、実に面白い。

 

筋肉鍛える意外の効果のほうが、魅力的です。

 

 

 

カテゴリー : pickup | 趣味

投 稿 日 : 2018年2月22日