新古典主義建築の傑作と言われたこのパンテオンは、実にどっしりとした威厳のある建物でした。
新古典主義とは、ロココ芸術(過度な装飾性を装ったもの)の神への信仰心の薄さに対して、崇高さや信仰心を取り戻すために、唱えられたものです。
中に入ってビックリしました。
芸術家による展示?をしていました。
カエルの卵タピオカ
ストッキングのような素材の中に何か入ってます・・・。
触ったらダメなんでしょうけど、触ってしまいますよ、こんなに主張されると。
また触りたくなるような素材ですし・・・。
この触りたくなる感覚を抑えることによって、何か見えてくるのでしょうか・・・。
絶対にみんな触りたいと思っているはず。
そんなの関係なくあっさり触っている人もいますけど、一回触らないという注意が頭の中によぎると、触るタイミングがなくなってしまいます。
この意識を押しのけて触ると、ぎこちなくなってしまうような・・・。
「あぁ、触りたい少しでいいから・・・。」
「いや、ルールは守らんといかんでしょ。今は日本人として耐えなさい。」
結局、触ることはありませんでした。
欲求をひとつ我慢することができました。
少し仏様に近づけたかしら。
近づいたに違いありません。
誰よりも先んじた気分でした。
そんなことはどーでもいいのですが、ここには地球の自転を証明する振り子があります。
「フーコーの振り子」と呼ばれるものです。
フーコーさんがこの振り子の触れ方により、地球が自転していることを解り易く解いたのです。
説明が難しいので、ウィキペディアを見てください。
とても幻想的です。
目に見える振り子による自転の証明と、全く体感できない自転の感覚。
この相違がとてもおもしろいです。
普段から自転しているので気付きませんが、逆に地球の自転が止まったら、体感できるのかもしれませんね。
いや~それにしても、やっぱり触りたかったな・・・。
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オルセー美術館 =Musee d’Orsay=
久々に海外のことを書きます。
印象派の作品が多く収蔵されているオルセー美術館は、セーヌ川を挟んでルーブル美術館の対岸にあります。
元々はナポレオンによって、1810年にオルセー宮が建設されました。
以降、1871年放火によりオルセー宮消失1900年駅舎・ホテルを建設第2次世界大戦中、捕虜の収容所として使用1972年劇場として使用1986年オルセー美術館として開館。
オルセー駅にはエッフェル塔を超える量の鉄骨が使われていました。それなのに、セーヌ川に面した外装は化粧石が使われています。
セーヌ川の対岸にルーブル美術館があるため、この当時流行ったガラスと鉄の建築は、受け入れられなかったそうです。
日本で言う「風致地区」や「美観地区」のような感覚でしょうか。
やはりフランスの方がその辺の感覚は優れているように思います。
ヨーロッパの伝統的な建築は主に石材を用いたものが多いのに対して、日本は当然木材を用いたものが全てです。
ヨーロッパの国々が今も街並みよく維持できていて、日本は無茶苦茶という要素のひとつに、この2つの違いが大きく影響しているのだと思います。
石は使い方にもよりますが比較的無機質な表情も備えていると思います。
そして現在多く使われている建材もまた無機質なものが多いです。鉄、コンクリート、ガラス・・・etc。
昔も今も比較的調和しやすい部分があると思います。
これとは反対に日本は有機的な表情をもつ木、土などを主として用いてきました。
やはりこれと、無機質なものを組み合わせるのは非常にしんどいのだと思います。
特にお寺や神社の前に車が停まっていると、違和感を受けます。
いくらデザインが優れた車であっても、鉄の塊ですから調和はしんどいです・・・。
写真を撮っても車の方が際立ってしまいます。
(車のCMは海外で撮られているものが多いよね・・・。)
日本の建築は従来主張するような造り方はしていないのだと感じます。
ですから、「風致地区」や「美観地区」といった独立的発想では、いつまで経っても日本の街並みはよくならないように思います。
話はそれましたが、ボクは印象派の絵画が好きです。
印象派絵画とは写実主義と、抽象主義の中間ぐらいの絵画です。
実際のイメージに自分の感性を視覚的に付加して表現する-すなわち、画家の考えていることや、感性を絵にのせることができると思います。
実に機械的ではなく、ぼやけた部分、奥ゆかしさを持つ。
置き換えると社会的でありながら、夢幻な部分を備える。
この曖昧な部分が、ゆるやかに全てを繋いで、街並みを良くする鍵となるかもしれません。
アラブ世界研究所 =Arab World Institute=
アラブ世界研究所。
先に書いたノートルダム大聖堂から500Mほど離れたところにあります。
この建物はフランスの大建築家ジャン・ヌーベルたちによって設計されました。
ジャン・ヌーベルはこの建物で脚光を浴びました。
これ以降、数々の有名建築を生み出しています。
特に光について深く考えているので、ガラスを使った建物が多く見られます。
一度大阪で開かれた、ジャン・ヌーベルの講演会に行ったことがありますが、頻繁に「光の戯れ」というフレーズを使っていたのを強く覚えています。
1987年に竣工したこの建物は見てのとおり異様な風貌です。
南側の外壁面はアラブ文化で見られる幾何学模様を模した、カメラの絞りのような機能を有する機械で埋め尽くされています。
この機械は単なるデザインだけではなく、実際に稼働して光を取り込む量を制御しています。
現在は故障しているようなことも聞きましたが、それにしても圧巻です。
建物内は、博物館、図書館、展示場、レストラン、ワークスペースなどで構成されています。
それにしても、機械の内部に入った印象でした。
でも工場とかそういう感じではなくて、本当に自分が小さくなって電化製品の中を歩いているような感覚?でしょうか。
機械的でありながら、細部まで神経の行き届いた建物でした。
妥協など一切許さない人なのでしょう。
そういう顔をしています。
ちょっと似てないかも・・・。
このぐらいの顔にならないと、巨匠にはなれないのかもしれません。
こう睨んだだけで、周りの人を飲み込んでしまうような・・・。
以外と、やさしい人かもしれませんね。
ところで気になるこの建物のお値段は・・・当時のレートは分かりませんが、現在のレートで言うと
建築コストだけで、約6,800,000,000円!!
仮に今から60歳まで29年間働くとして、1ヶ月に2000万円貯金することができたら、キャッシュで建てることができそうです。
29年間アルバイトなら、時給27,000円で、全く眠らずに働き続けると、建築可能です。
あっ土地代忘れてました・・・。
モン・サン=ミシェル修道院 2 =Le mont saint michel 2=
オムレツでお腹を満たして、修道院へと向かいます。
この修道院は、歴史の変動とともに多くの建築様式が見られます。
もともとは墓の山と呼ばれていた所に、大天使ミカエルから「この岩山に聖堂を建てよ。」というお告げを受けた、アブランシュ司教のオベールさんが、建てたそうです。
オベールさんは始め悪魔のイタズラだと思って信用しませんでした。またまた同じ夢を見たけど、信じなかったそうです。
だんだんイライラしてきた大天使ミカエルはオベールの額に指を触れて強く命じました。そして稲妻が脳天を走る夢を見ました。
笑うせぇるすまんのドーン!!のような感じだと思います。
朝起きて、オベールさんが頭を触ると脳天に穴が開いていたので、これは本当だと思って礼拝堂を建てたのが始まりだそうです。
脳天に穴っ!!ちょっとやりすぎでしょ・・・。
mont(山)、saint(聖なる)、michel(ミカエル)・・・「聖ミカエルの山」という意味です。
悪いことすると、脳天に穴が開きます・・・。
そんなことを考えながら、建物内を歩いていると、現われました笑うせぇるすまん!いや、ミカエルさん!
悪そうには見えませんね。むしろカッコイイですね。
左手に持っているのは秤です。
この秤で、善悪の量を量ってドーンっ!!です。
しかし、こういう建物はコメントしにくいです。あまりにも遠い存在で、絶対的で、宗教的で・・・。
建築学という小さなカテゴリでは、見ることができないものです。
もっと自分の意識を総動員して感じなければなりません。
それでいて構えずに、自然に・・・。
そうこうするうちに、パリに戻る時間になりました。
バスに乗り込んで、とりあえずいい体勢になって、バス男の話に耳を傾けました。
帰りは、さすがに静かにしてるやろと思っていましたが、行きの1.2倍ぐらいの早さで、ガイドし続けます。
帰りも4時間半ほどかかりますが、4時間を越えたあたりから、更に喋るスピードを上げてきました。
明らかに尺の調整に入っています。息も切れてきました・・・。
「えっ?なんでそこまでするの?」という空気がバスの車内に立ち込めます。
困惑する車内、ものすごいスピードで喋り続けるバス男!
見覚えのある景色になってきました。バス男の声がかすれてきました。しかし、息切れとともに、喋るスピードは落ちません。
たぶんこの状況に若干引いてしまってる客もいたと思います。
それほど、理解に苦しむ状況でした。
そして、バスが停まると同時に、バス男の話もちょうど終わりました。
最後はたたみこんだ感じでしたが、終わった瞬間、歓声と拍手が巻き起こりました。
ここで音楽を流すとすると、ロッキーのテーマです!
そんなフィナーレでした。
バスを降りる時に、バス男に深くお礼をしました。
始めはイヤな感じでしたが、最後は健闘を称えました。
すごいプロ意識です。
ここにもいました、熱い男。