ベルリンから約100km南西にデッサウという町があります。
そこにバウハウスの校舎が今も佇んでいました。
圧倒的な存在感、ガラスが宙に浮いたような軽快な箱とうイメージです。
今でこそ、このような建物は珍しくないですが、1925年当時にはさぞ周りを驚嘆させたことでしょう。
この学校で建築、彫刻、絵画の三位一体の教育がなされていたとなると、とても興味深いです。
校長であったグロピウスは、まず始めに固定概念を取り払うために、規範を壊していくことに集中したと言われています。
グロピウスは明確で物事の根源を述べることが多いですが、下記はその中で特に心に残った言葉のひとつです。
「建築家、彫刻家、画家である私たちはすべて手工芸に復帰せねばならない。
なぜなら芸術専門職などというものは存在しないのだから。
芸術家と手工芸家の間に本質的な相違などりえない。
芸術家とは手工芸家の高揚したものに過ぎない。
天の恩恵は彼の意志のかなたにあるまれな瞬間にのみ、彼の手の工作物から無意識のうちに芸術を開花させることもあるが、工作的なことの基礎はいずれの芸術家にも不可欠なものである。
そこにこそ創造的な造形の源泉がある。」
(SD選書バウハウス抜粋)
芸術とは机上の空論では生まれないということ。
建築を芸術の一部と捉えることが前提の言葉ではありますが、本当に良いものを造るなら、直接素材に触れてその素材の魅力を正しい方法で活用することが、まず最初の基本だということだと思います。
そしてその素材の魅力を最大限に活かしきってかつ、更なる効果との複合の後に芸術となるのでしょう。
余計なことに捉われず、全身全霊で造れということでしょうか
先生、ムズイっす
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Category Archives: ドイツ建築
ギャルリー・ラファイエット =Galeries Lafayette=
以前にも紹介した、フランスの建築家ジャン・ヌーベルの設計。
ベルリンの中心街、フリードリヒ通りにあるデパートです。
内部を円錐形、逆円錐形のガラスの吹抜けで上下階をつないでいます。
やはり彼が生み出すのはガラスの建築、光の建築です。
しかしながら、正直それほどの感動はありませんでした。
デパートという用途がそう感じさせるのかもしれませんが、純粋な形を捉えにくいです。
建築はどう使われるかによって大きく変化すると思います。
同じ家でも住む人によって内容が異なるように、デパートだと、店が変わる度に空間の見え方も変わるでしょう。
建築で言う絶対的な空間とは、人が変えることのできない普遍的な空間を備えていることだと考えています。
神社やお寺、神殿や教会がそれに近いのかもしれません。
そう、例えばこういうものが飾ってあっても変わらない空間であるということです。
ぐるぐると空中ブランコのように回っていました。
影響されてちゃいますよね・・・。
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ノイエ・ヴァッヘ =Neue Wache=
ベルリンの目抜き通りウンター・デン・リンデン街に建てられたノイエ・ヴァッヘ(現・戦争犠牲者礼拝堂)。
このウンター・デン・リンデン街にはこの他にも著名な建築が数多く建っていました。
ギリシャの神殿を思わせる外観で、元は王宮を守護する近衛兵の詰所として設計されたものです。
中にはケーテ・コルヴィッツという彫刻家が、死んだ息子ペーターを思い造った「ピエタ」という作品の拡大レプリカがあります。
その天頂部には天窓というか、大きな穴が空いており、雨や風を受けることにより第二次世界大戦の民間人の苦しみを表現しているということです。
この写真を見て気付いたでしょうか?
ボクも不思議に思いました。
薄暗い雨雲に覆われた空の中を歩いて、このノイエ・ヴァッヘに辿り着きましたが、中に入ったら外よりも明るく感じるのです。
精神的なものなのか、視覚的なものなのか分かりませんが、このピエタという彫刻が崇高に感じられました。
光の凝縮という表現が正しいかどうか分かりませんが、とにかくそのような間隔です。
これ以前に同じ印象を受けたのは、京町屋の坪庭です。
京都の町屋は両側の建物と繋がっていたり近接していたりするので、道路側と建物の背面しか開口がないものが多く見られます。
奥まで突き抜ける土間や、奥まで連続する畳間、そしてそのさらに奥に坪庭があります。
入った所は薄暗いですが、遠くにとても凝縮された光があります。
そういう光には力があると思います。
自分が常に明るい中に居ると、光の意味を考えることが少なくなるでしょう。
常に明るいということは大変ありがたいことですが、そういう所にいると、少し暗くなっただけでも、もっと明るくしたいという風になりそうです。
快適さを手に入れるごとに、ひとつひとつ感動や憧れを失っていくようです・・・。
だからボクは毎晩、電気を付けずにロウソクの火だけで生活しています・・・。ウソです。
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ベルナウ =Bernau=
ベルリンの中心部から電車でちょっと行ったところにある町に行きました。
ここには、バウハウスで2代目校長を務めた、ハンネス・マイヤーの代表作であるADGB連合学校があります。(ドイツ労働組合総連合の組合員のための研修施設)
バウハウスとは、1919年に設立された美術と建築の総合教育を行った学校です。
合理主義的、機能主義的な芸術を基にモダニズム建築に大きな影響を与えました。
マイヤーは、建築=機能×経済と説いて、建築が内包しているであろう芸術性を否定しました。
どう否定したのか、彼の代表作を見て確認したかったのですが・・・。
ベルナウの駅で場所を聞いても、結構距離があるらしく確かバスの便も悪かったと思いますが、タクシーに値段を聞くと結構な金額だったので、断念しました・・・。
そしてベルナウの町を探索することにしました。
探索と言っても何もないのどかな町です。
人も少なくて静かな小川がながれる時間が止まったような空間でした。
その反面、自分の中に多彩な感情が生まれる空間でもありました。
建築=機能×経済と説いたことについて考えると、確かにそういう部分もあると思います。
でも、少なからずどのような建物でも何かしら感じるはずです。
それは機能的な意味ではなく、インスピレーションのようなものも含まれます。
例えば、なぜか落ち着いたり、テンションが上がったり。。。こんな感情が生まれることもあるでしょう。
それが元で住宅を購入することが経済効果だと考えると、確かに建築=経済となります。
しかしながらお寺や神社などは現在に至ってはそのようなものとは、また別の分野にあるように思います。
お寺が建立された当時は政治的な経済効果があったとしても、長い年月を経て違う存在となります。
多くの人が何かを感じる場所に変わります。
そこには美しい木造の組物や美しい庭園といった、シンプルな芸術性が存在していると思います。
芸術の定義をどう捉えるかによって理論が異なりますが、少なからず機能と経済だけではなんとも寂しそうです。
1996年に「ヴァイマルとデッサウのバウハウスとその関連遺産群」としてバウハウスの校舎等が世界遺産登録されることになり、
その登録基準の中に「顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と、直接にまたは明白に関連するもの」という項目も含まれているのですから、
彼の哲学自体もまた、芸術だったのかもしれません。
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