シタデル内にある一番目を引く建物が、ムハンマド・アリ・モスクです。
このモスクは、19世紀の半ばに建てられた、比較的新しい建物です。
内・外壁にアラバスターを使用していることから別名アラバスター・モスクと呼ばれています。
アラバスターとは、雪花石膏と呼ばれる白く美しい石で、古代彫刻品によく使用される。
アラバスターの硬さは、鉱物の硬さの基準となる、モース硬度でいうと2にあたり、爪で傷をつけられるほど柔らかい石です。
(爪の硬度は2.5らしい)
地球上で最も硬いのはお馴染みダイヤモンド。硬度は10。
モスクは基本、回廊で囲まれた中庭と、礼拝を行う場所とで構成されています。
そして、ここの中庭の塔に付けられた時計は、ルクソール神殿のオベリスクをフランスに贈ったお返しの品です。
贈られてきてすぐに壊れたそうですが。。。
<中庭>
建物の中に入ると、高い天井と礼拝を行うイスラム教徒、宙に吊り下げられた照明が印象的です。
この吊り下げられた照明は、様々なモスクで見ることができ、非常に美しいものでした。
<礼拝中>
日本で初めて建設されたモスクは、私たちが住む神戸にあります。
神戸ムスリムモスク→ http://www.kobemosque.info/jp/top.html#
1935年に竹中工務店の施工により建築され、神戸大空襲や阪神淡路大震災に耐え、現存するに至っています。
「月出づる国」に預言者ムハンマドが最初に建てたモスクがメディナの「Koba:Quba」クバー・モスクというもので、
「日出づる国」最初のモスクが「Kobe」コーべ・モスクという、偶然の類似にも驚きです。
何か新しいものを知るとき、その背景にはとても多くの新しい発見があり、
新しい繋がりに出会うことができます。
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Category Archives: エジプト建築
ギザの大ピラミッド =GREAT PYRAMID OF GIZA=
世界の七不思議で唯一現存する建造物。
そのクフ王のピラミッドは、高さ約147m、紀元前2540年頃(今から4550年前)に20年以上かけて築造されたと推定されています。
<大スフィンクスとカフラー王のピラミッド>
平均2.5tの石材を約280万個積み上げられたとも計算されています。
底辺は約230m、高さとの比は黄金比となっています。
最も驚くべきことは、建造物の精度です。
方位に対する誤差が大きいところで約0.09°で底辺の誤差は約20cmということです。
<クフ王のピラミッド>
私はこの場所へ、正面ゲートからではなく、裏口から入ることになりました。
タクシーにギザのピラミッドまでお願いしたら、裏口に到着。
エジプトではありがちなことです。
ここで仲間にラクダツアーとかなんとかを売りこませるのです。
仕方がないので、さんざん粘って値段を下げ続けました。そして裏口からラクダで入ることになったのです。
裏口から入ってしばらくすると、馬に乗った警官が近寄ってきて、私のラクダを引く男が罰金のようなものを取られていました。
正規の入り方じゃないのね・・・とそこで気付きました。
そして男は、私に罰金代を払えと訴えています。
なんでやねん。
<正面ゲート(こっちから入ることをお勧めします)>
エジプトは気が休まりません。
しかしピラミッドが視界に入った時は、そんなことはどうでもよくなりました。
そして、この偉大な建造物の中を見学することができます。
カメラは入口で係の人に預けなくてはなりません。
私が訪れた時はタイミングがよく、ピラミッドの中には誰も見学者がいませんでした。
うす暗く狭い上昇通路を昇り続け、王の間を目指します。
これだけ大きな建物なのに、内部の空間はほんのわずかです。
とても贅沢な建物。
まだ発見されていない部屋もあるのかもしれません。
なんとも静かな気持ちになり、昇ってきた通路を降りていると、最後の段で足を滑らせました。。。
上の方で足を滑らせたら大変なことになっていたかもしれません。
他に見学客もいませんし。
恐ろしや、でも素晴らしきかな。
するとエジプト人が近づいてきて、日本の1000円札を私に差し出してきました。
日本円は使わないから両替してほしいというお願いです。
いくらでか尋ねると、著しく為替相場を下回った金額でした。。。
恐ろしや、様々なエジプトの手口。
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王家の谷 =Kings Valley=
ルクソールのナイル川西岸に、岩窟墓群があります。
そのお墓は岩山の谷に散らばっており、発見されているだけでも64つもあります。
<王家の谷模型>
そのうち24つが王墓です。
あの有名なツタンカーメンのお墓も含まれています。
19歳で没したとされる若きファラオです。
ツタンカーメンの黄金のマスクと装飾品は、カイロにある考古学博物館で展示されていますが、
この王家の谷にはケースの中に横たわったツタンカーメンのミイラがあります。
ほとんどのお墓が盗掘にあったようですが、このお墓だけは盗掘されていませんでした。
しかし、発掘関係者やスポンサーが次々と不慮の死を遂げたので、「ファラオの呪い」という伝説が生まれることになったのでした。
そんなことを考えてながらミイラを見ていると、背筋が凍るような感覚を受けます。
だから写真におさめることはしませんでした。
不吉な・・・そもそもお墓の見学ということ自体なんか妙な感じです。
と、一人の女性が遠くを眺めながらスケッチをしていることに気付きました。
ここへくるバスの中で、隣の席に座っていた韓国人の女性です。
日本に半年ほど住んでいたらしく、日本語がとても達者でな方でした。
私「絵を描いているのですか?」
女性「はい、カメラを忘れてきてしまったので、絵を描いて残そうと思います。兄は絵が上手なのですが、私は昔から絵が下手で。。。良い絵ではないのですが、みんなに見てもらおうと思います。」
スバラシイ!!!
私は持っているカメラを地面に投げつけてやろうと思いました。
投げつけませんでしたが。
「絵を描く女性」
彼女の視線の先にはどのような世界が広がっているのでしょうか?
彼女の視線の先を追うことによって、この写真の奥を想像できます。
「ファラオの呪い」、この純朴な気持ちによって浄化されますように。
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カルナック神殿 =Karnak Temple=
ルクソール神殿から3kmほど離れたところにある、カルナック神殿。
遠い昔、両者は参道で結ばれていました。
カルナック神殿といえば、巨大列柱の空間で有名です。
実際にそこに赴くと、日常とのスケールの違いに言葉も出ません。
カルナック神殿が建てられた約3500年前は、どのような世界であったのか。
想像力を掻き立てるのに十分なスケールです。
この神殿が建造された時、日本は弥生時代です。
弥生時代でも建築の高さへの追求がなされていたとされています。
祭壇や神殿は高床式で造られ、物見櫓のような建物が当時のものと推定される土器に描かれています。
今では、鉄骨鉄筋コンクリート造などで、高層建築物を実現しています。
それは神への信仰ではなく、生活用途のために。
高さへの追求という点においては、カルナック神殿、弥生時代の高床式神殿をはるかに上回ります。
しかし、圧倒的な存在感という意味では絶対的に劣るでしょう。
カルナック神殿に圧倒される最大の理由は、その当時の技術、素材、大きさにではなく、
3500年の時を積み重ねた歴史の重みであるということです。
きっとカルナック神殿を計画した人たちは、その思いを抱いて建造したのでしょう。
3500年と言わず、永久に存在し続ける建造物を。
現在と過去、建築物の用途は違うにしろ、その思いで建築することの偉大さ、プライド、使命感を、
引き継がなくては、今後永久に過去を超える建築物は存在しないのかもしれません。
それに近い感覚にを持って現在も建築を遂行しているのは、サグラダ・ファミリアなのかなと思います。
カルナック神殿からサグラダ・ファミリアに話が飛躍しましたが、
現在でもその所業を見る機会があるということは、
大変素晴らしいことだと、これらを比較対照することによって率直に感じることができました。
私たちが生きた時代の建物が、未来永劫、世界に存在し続ける可能性を秘めていると思うとワクワクしてこないでしょうか?
補足として、上述は長期優良住宅のことを言っているのではありません。。。
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