メスキータもそうであるが、コルドバの街並みは非常に美しい。
漆喰で仕上げられた白い壁に、赤い花の鉢が掛けられて・・・
普段からここまで外の空間に気を遣っているのか、それとも観光客向けの演出なのか。
建物が密集している割には、窮屈さを感じない。
圧倒されるような高い建物はなく、2、3階建の白い外壁が相互にフライングバットレスで繋がって、
外にいながらも区切られた部屋にいるような感覚になる。
外壁がまるで内壁となり、空が天井となっているような不思議な感覚である。
今にもフラメンコを踊る女性が現れそうな、これぞスペイン!というシチュエーションだ。
これぞ○○!という風景は、印象として抱いていても、なかなか出会うことができないように思う。
私が思うこれぞ日本!という風景は、市街地からわざわざ足を運ばないと見ることができない。
そして永い時間変わらない場所である。
更には、印象の中の一つの要素がずれるだけで、そのものにはならないから、かなり限定された地域になってしまうのである。
これぞ!というものは、ある種普遍的なものだと考えてしまいそうだが、
古い街並みも、その街ができた当時はこれぞ○○!というような、多くの人に印象付けるものではないのであるから、長期間維持されることがひとつの条件なのだろう。
風景だけに限らず、遠い将来を見据えたものづくり、理想的な課題のように感じるが、
個人の意思だけでなるものではないので、課題ではなくその思いを込めてものをつくることが重要な一歩であると思う。
「ものづくりにおける教訓」
著 高宮 透
より抜粋
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