現在は、エアコンで暖を採ることがほとんどです。
電源入れて、室温を自動で温度を調節してくれる。
ただ、それ以上でもそれ以下でもない。
便利さと、情緒は反比例の関係にあるように思う。
薪ストーブは便利でないから設置する人が少ないのではなく、手間をかけるゆとりがないのだ。
ほとんどの人が、良さを理解している。
私もそうだ。
だから便利さを否定しているのではない。
でも日常に落とし込むことができず、旅行先などで、数日その情緒に触れられることで満たしているのだ。
炎、薪が燃える音、匂い、そして空気の色が変わるかのように包まれる暖かさ。
エアコンは建築の中の温度を変えるだけ。
建築ではなく、付属機器。
しかし、薪ストーブはその暖める空気とともに、建築と一体となる。
そう、建築となるのです。
だから薪ストーブで薪を炊いたことを思い浮かべると、この建築空間が変化し、自身の行動がそれに促されることを想像する。
エアコンを運転して、自身の行動が促されるであるだろうか。
それが運転していることすら想像しないだろう。
人の生活とはそういうものだと思う。
今日は、薪ストーブの設置された部屋で、暫し陶酔しながら文学調にそんなことを考えたのでした。
あ~うらやましい。
お施主さんへの引渡しの前に、一泊したいと思いました。笑