昨日は、朝から姫路にて新築工事中の美容院の構造材の打ち合わせを行い、その足で枚方市三矢町へ向かいました。
特別な場所。
初心に戻れる場所。
京街道(大坂街道)、大阪と京都の間に位置する宿場町。
私にとっての枚方とはこの三矢町のことです。
両親は神戸と明石の出身ですが、私はこの町で生まれました。
時折訪れては、懐かしくもあり、いろんな新しい気付きもある。
まずは、意賀美神社で挨拶をし、京街道を見下ろすことのできる豊臣秀吉が建てた御茶屋御殿跡で一息。
その傍らには、100本余りの梅林もあります。
子供のころは梅林など興味もなかったし、御茶屋御殿跡があったということも意識に残っていない。
しかし今はとても素晴らしい場所だと感じることができる。
歳を重ねると、ものの見方というものは当然変わっていくけど、幼少期に潜在的に素晴らしいものだと植えつけられるものが存在することをこの場所に来て認識できる。
お寺の数が尋常じゃないくらい多く密集しているのも、他の街をしらなかったので、それが普通で何の疑問も持たず、お寺の瓦屋根にキン消しを投げては転がって落ちてくるのをキャッチするのを楽しむ罰当たりな遊びをしていました(笑)
今でもロビンマスクが瓦屋根の上に止まって落ちてこず、登下校のたびに屋根上のロビンマスクの安否を気にして見上げていたのを覚えています。(ある日無くなっていて、ロビンマスクがどうなったのかは未だに分からないままです。。。)
そんなことを思い出しながら、車が走ることの困難な細い道を一通り散策すると、小学校の同級生が営む「塩熊商店」へ挨拶に伺います。
江戸時代からある商店だとは、子供の頃は知りもしなかったし、この街が歴史深い街だとも知りませんでした。
そんな歴史ある街並みが、時代とともに変わっているのがすごく分かります。
時間をおいて訪れるので、その変化を感じやすいのでしょう。
そんな中、塩熊商店さんが、枚方三矢の活性化に邁進されています。
私が住んでいたのはマンションで、当時複数の集団登校のグループがありましたが、今はゼロになってしまったということを聞き驚きました。
しかし小学校の子供の数は増えているということです。
駅前にマンションが建ち並び大阪市内や近郊で働く人が増えているという理由です。
これはとても複雑な心境なのですが、幼少期に私が住んでいたマンションも当時は、近郊労働者のために建てられたものだと思うことです。三矢町にふさわしくないという反対があったのだろうと今では想像できます。。。
古い場所は新しくなり、いずれ他の町と変わらないベッドタウンになってしまうのでしょうか。
塩熊さんにて、今でも他とは違う趣のあるこの場所は、私の感性と一体であり、神戸に移り住んでからも素晴らしいと思い続けることのできる歴史残るこの町をなんとかしたいという思いを語らせてもらい、気づくと3時間ほど話こんでしまいました。
(お忙しい中申し訳ない。)
建築は常に歴史とともにあり、建築をとおして協力していければと思います。
自分が幸せになるための素晴らしい感性を育んでくれたこの町への恩返し。
そして、同時にロビンマスクの行方も突き止めることができれば幸いです(笑)